もし昼過ぎに会議室の前を通りかかったなら、ようやく終わった委員会から解放された委員達の中に、ずっとかみ殺していたあくびをする逸生の姿を見ることができただろう。
9月はじめに行われる学園祭の準備。それは、期間中のお祭り騒ぎや後夜祭での大団円に胸踊ることではあるのだが、準備段階では当然、面倒くさい作業もこなさなくてはいけない。
逸生にとっては、どちらかというと後者のウエイトの方が大きいようだった。
委員の大半は、すぐに帰ろうと昇降口に靴を履き替えにいったが、逸生は委員仲間と一言二言交わした後、反対方向のロッカー室へと向かった。今日は剣道の稽古の日なのだ。
窓からの入射光がまぶしい廊下を歩いても、誰ともすれ違わない。夏休み中は学園祭の準備に当てるクラスが多いものの、今日はあまり生徒がいないようだった。といっても、会議室からロッカー室へと向かうルートは、普段からそこまで人通りは多くない。教室が少なく、実験室や準備室ばかりだからだ。
木漏れ日の差す階段を下りながら、駆人にメールをしてみる…が、いつもならすぐ来るはずの返事が来ない。
(…そうか、もう自主練行ってるよな)
階段ホールに、キュッキュッ、と上履きの擦れる音が響く。
今までは気にならなかったその音が急に気に食わなくなって、逸生は軽く顔をしかめた。
帰り支度をした逸生は、「いつもどおり」特に寄り道もせずに、真っ直ぐ道場へと向かった。
「いつもどおり」のペースで行けば、道場には練習の30分前に着くはずだ。着いたら、先生に挨拶をし、身支度を整え、簡単に道場の掃除をして、練習の開始を待つ。全くもって、「いつもどおり」の予定だ。
そう思っていたのだが―――今日は、なにやら様子が違うようだった。「いつもどおり」ならば、すぐ後ろからいきなり声をかけられたりなんてしない。
「すみません、ちょっと」
不意打ちに驚いて振り向けば、本当に目の前に、黒尽くめの男が立っていた。
「ぅわっ」
思わず半歩下がる。男はその場に立ったまま、すっと微笑んだ。
「突然声をおかけしてすみません、ちょっとお聞きしたいことがありまして」
「……失礼ですが、急いでますので」
逸生は当たり障りのない返事をしておいた。いったいどこの誰が、見ず知らずの男の話すことを律儀に聞いてやるだろうか。
(おまけに、見るからにウサンクサイ格好だし)
逸生は、なるべく目を合わせないようにして、男に一瞥をくれる。
その男は細身の長身だった。よく見れば、顔もそれなりに…いや、案外整っていた。口調も穏やかで、ここまでは、さして怪しむべき点はないだろう。女の子相手なら、あるいは胸がときめいてしまう人間もあるかもしれない。
しかし、だ。真夏日の照り返しが厳しいアスファルト舗装に、黒のスーツをしっかりと着込んで、インナーにもこれまた真っ黒のシャツにワインレッドのネクタイといういでたち。おまけによくみれば、長髪を後ろで束ねている。
悪いがこんな調子では、少なくとも善良な小市民には見えない。良くてもホスト、最悪、危ない裏稼業の方といった所か。
(ここんとこ暑いしな…無視無視)
この出来事を無かったことにして無視を決め込み、さっさと歩き出す逸生。後ろの方から
「あ、あの、ちょっと!別に怪しくないですから…」
などと慌てる声も聞こえたが、これまた無視することにした。
(怪しくないっていう奴が一番怪しいだろうが…)
心に薄くかかる不安と気味悪さに正直になることにして、逸生は駆け足で道場へと急いだ。
「…あーぁ、行っちゃったよ」
黒スーツの男は、駆けていく逸生を眺めてそう呟いた。後頭部で両手を組み、軽くため息をつく。
「ま、話してくれないのは当然かな。そう思ってこっちもやったわけだし…」
真夏のアスファルトには、かなりの熱が篭もっている。
僅かに口角を上げた彼の足元が揺らいだように見えたのは、その熱気のせいだったのだろうか。
←back|NOVEL TOP|next→
〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
あら、新しい方が出てきましたね。
ソレはいいとして(いいの?)、逸生くんも何やら危なっかしい気配が…。
UPDATE 2006.2.23
もしよろしければ、ポチッとお願いします→
copyright © 2006 Fly,Cry,Forever. / acyapo all rights reserved.