もしも家の中に、自分以外の存在が皆無だとすれば。
家というものは、どれほど住みづらい場所になるのだろうか。
もしも家の中に、自分を認めるものが何も無いとしたら…。

俺――氷皇蛍輝は、家のドアを開けた。
「ただいま戻りました」
むっと押し寄せる熱気を外に閉めやって、誰もいない玄関に向かって挨拶をする。
大切なのは「挨拶をする」ことであり、人がいるかどうかは大した問題ではない。
だが今日は、家に人の気配が合った。今日は珍しく家にいた兄が、声をかけてきたのだ。
……それはもう、とても勢い良く。

「ぉおっっかぁ〜えりぃぃぃ〜、けぇいきぃぃぃぃっ!!」

俺は「スキンシップ」の一撃をなんなくかわし、彼は玄関横の観葉植物とあつい抱擁をかわしている。
「…っと。今日はずっと家に『いた』んですか、兄さん」
派手に空振りした兄を見つめ、軽くため息をつく。
ばっ、と大仰に振り返りながら、兄は満面の笑みを浮かべていた。
「まあな〜。蛍輝、学校はどうだった?楽しかったかっ?……なーんて聞きたかったんだけどな」
そういって苦笑いを浮かべる兄。
そう、今日は楽しいなんてものではなかった。
「ええ……つい先ほど連絡を入れたとおり、言霧のものと接触しました」
兄の顔が厳しくなる。
「言霧に、か……。向こうの情報は?あいつらは、こっちの動きを掴んできたのか?」
こういうときの兄の振る舞いは、普段見せるお調子者の雰囲気とは真逆といってもよいほど、一族の若手実力者であることを感じさせる。冷静で視野が広く判断力に富み、必要なことをもらさず実行に移す。
自分も自然と背筋が伸びる。言霧の少女のことを出来る限り的確に、そして詳細に伝える。
「ふぅ、ん……あいつらは1人だけ送り込んできたって事か。……まぁ、こっちと一緒で後ろに何人いるか分かったもんじゃないけどな。お互いの情報がつかめていなかったのは同じようだ」
兄は手をあごに当て、言霧方の手の内を探るように思案をめぐらせているようだった。
だが、お互いの情報がつかめていない、というのは本当だろうか。
例えば、彼女だけ情報を教えられていないと言うことは……
そう言おうとする前に、兄が軽く手で発言を制した。
「分かってる、そいつが知らされていないだけかもしれないって言うんだろ?でもそれは、お前が何も知らされていないのと一緒だ。偵察役に十分な情報を与えないなんて危なっかしいこと、わざわざしないだろうよ」
そういって、兄は軽く俺の肩をたたいた。
……それもそうか、そう思うことにした。
彼女が十分な情報を知らないということは、あるいは自分自身も情報をつかみきれていないのではないかという不安に直結するからだ。
しかし、自分は兄に絶大な信頼を寄せていた。
これまでの人生で、兄の行動、特に自分に関しての行動に、自分に不利になるようなことは一切なかった。
そういったことから、今回の任務についても、自分に必要な情報は全て知らされている自信があったのだ。
「……そうですね。何か行動を?」
「いや、もう少し泳がせてみる。向こうが派手に動いてくれた方が、こっちは隠れやすいしな」
そういって、兄は不敵に笑った。
兄は時たま、昔とは違う笑い方をする。
底の知れないような、見ていてどこか不安すら覚えるような、妖しい笑い方。
だがそれは、兄の風貌にはいっそ似合っていた。
黒のスーツをしっかりと着込んで、中にも黒のシャツにワインレッドのネクタイ。
5年ほど前から伸ばしはじめた髪は肩より10cmほど長くなり、後ろで束ねている。
いわゆる「普通の人」とは言いがたい服装ではあるが、一族の中での兄には、その空気が似合っていると思った。
兄は独り言のように呟く。
「もしかすると、逃げ道も作っておいたほうが安全かもしれないな。こんなところで計画をフイには出来ない……けど」
俺の眼を見て、力強い口調で言った。
「ここまで来たんだ、このままじゃ退けない。蛍輝、その内にお前にもやってもらうことが出てくるとは思うけど、その時は頼む」
俺がしっかりと頷くと、兄は口の端によく知った笑みを浮かべ、俺の肩をポンと叩いた。
「……さて!蛍輝、お腹すいただろっ?今日は美味っし〜いパスタがなぁ……」
兄はもうすっかり自分の兄の顔をして、昼食を一緒に食べようと言う。
俺が今いち乗り気では無い事に感づいて、兄はデザートに濃厚牧場卵のなめらかプリンをつける旨を申し出た。
……そう言われてしまうと、俺にはもう、断る理由がない。俺は心なしか軽い足取りでダイニングに向かい……

何か、忘れているような気がする。
今日、言霧の少女のこと以外にも何か、驚いたことがあったはずだ。何か……。
しかしながら、その事柄の記憶はぼんやりとしていて、思い出せない。
頭の奥に何かを置いてきたようで、どこかすっきりしない。
「どうしたんだ?蛍輝ぃ〜。おにーちゃんがプリン2つとも食べちゃうぞぉ〜」
向こうから、一足先にプリンを味わっている兄の呑気な声が聞こえてくる。
まぁ、きっと大したことでは無い。後で思い出すだろう。
それよりも、一刻も早くプリンを堪能するため、俺は自室にカバンを置きに向かった。




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ヒサビサの更新。彼は蛍輝くんのお兄さんでしたー。みたいな。(ぉ)
春休みだったのに何も更新できずにお姉さんびっくりしてます。
UPDATE 2006.4.5

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